オイラーが胸に抱いていたもの  –-なぜオイラーアイデンティティを見つけることが重要なんだろうか。 

 オイラーアイデンティティは、このコラムで紹介されているように、例えば 

オイラーが導いた公式 e^iν=cosν+i sinνにおいて、ν=πとνにπを代入すると、e^iπ=-1となり、簡単に導く事が出来ます。このコラムではそのようにド・モアブル、ロジャー・コーツ、ヨハン・ベルヌーイ、そしてオイラーといった数学者達がオイラーアイデンティティのすぐ近くにいたのにそれを書き下さなかった場面が描かれていますが、その理由はまさにコラムにあるように  

 「彼らが研究していた問題はオイラーの方程式にかかっていたわけでは無かったので、誰もその当時発見する理由は持ち合わせていませんでした。」 

ということになります。 

 それでは、彼らはどんな研究をしていたでしょうか。 

 ここでは特にオイラーにとっては「オイラーの研究していた問題はオイラーの方程式にかかっていたのでないならば、何を研究していたのだろうか。」ということ、またオイラーアイデンティティに注目する意義はあるのか、という部分を少し補っていきたいと思います。 

さて、「実数」の対数については17世紀の終わりごろにはよく知られていました。また、対数関数が指数関数の逆関数であることは、イングランドの数学者ジョン・ウォリスによって1685年の論文で明らかにされましたが、オイラーの「無限解析序説」によって広く知られるようになりました。「無限解析序説」が出版されたのは1748年のことです。[Br] 

 18世紀には、虚数複素数の対数の定義やその拡張について様々な議論がなされていました。今では当たり前に受け入れられているその存在も、その当時は果たして負の対数など存在するのだろうか、ということさえ疑問が抱かれていたでしょう。オイラーの師匠ヨハン・ベルヌーイとライプニッツは、負の対数の正体を巡って意見を対立させ、決着がつかないまま終焉しました。その中で、正と負の対数について、logx=lox(-x)というのはベルヌーイの最初に表明した立場でしたが、ライプニッツはそれに反対しました。 

 このコラムの中で登場するのはそんな当時の議論の一場面です。1702年にベルヌーイが複素平面上の半径aの円の面積を求める微分方程式を発見し、オイラーはそれを参照して、4分の1円の扇形の面積を求める式 

            

を導いた(のだと思われます。)また、1727年ごろ、ベルヌーイはlog(-1)=0という証明をオイラー宛の手紙の中で書きましたが、オイラーは師ベルヌーイの示したlog(-1)=0という結果に不満足でした。その面積の式でx=0にした時にlog(-1)=0とすると、円の4分の1の扇形の面積が0になってしまうことが理由であったことなどが描かれています。 

 ところで、この辺りのことを詳しくみていくと、この式が収録されているのは、ヨハン・ベルヌーイの全集(全4巻)で、刊行されたのは1742年です。 

  因みに「無限解析序説」原稿が完成したのは最近ではオイラーとクラーメールの手紙の記述から1744年よりは遅くない時期であろうと言われています。オイラーは、「無限解析序説」に先立って、このヨハン・ベルヌーイの全集にも目を通していたことは間違いないようです。 

 そのヨハン・ベルヌーイの全集第1巻、399ページに1702年8月5日付けの手紙が収録されていて、そこに短く、変数変換t=(z+b)/(-z+b) (bは定数)により、adz/(b^2-z^2)=adt/2btが成立する、という記事があり、同様に微分adz/(b^2+z^2)は虚対数の微分-adz/(2bt√-1)に変換される、と言及されています。(この記述に含まれる式のことをベルヌーイの微分方程式と呼びたいと思います。手紙については[Be]参照。) 

 そしてオイラーは実際に、それを参照して変数変換によって、積分し、上記のような複素平面上の円の面積を求める式を導いたようです。 

 また、「無限解析序説」の後に書かれた、1749年[ライプニッツとベルヌーイの論争(E168)]ではまた同じベルヌーイの微分方程式から導かれる 

log√-1=(½)π√-1)(式1とします。) 

という式を記しています。 

 オイラーは[E168]の中で、「ベルヌーイの見解」と書いて、「ベルヌーイは幸いなことに円の面積を虚数の対数に帰着させた」、また「ベルヌーイの美しい発見」とも呼んでいます。このように[E168]の中では、この式を根拠にしてヨハン・ベルヌーイとライプニッツの手紙の中での虚数や負の対数を巡る論争に対して、一つ一つに対して見解を与えている様子がわかりますが、このヨハン・ベルヌーイの微分方程式から導かれる「ベルヌーイの美しい発見」を目にして以来、その式を信頼してオイラーは数学的思考を進めたことは間違いありません。 

 対して、「オイラーアイデンティティ」の式、つまりe^(iπ)=-1という式のことですが、その式とオイラーの関係はというと、それはこのコラムで描かれている通りで、オイラーは特別関心を示していません。指数と対数の関係を明らかに観察したり、実際にいくつも書き並べた例の一つとして、論文の中でもlog(-1) に対してπが登場したりもしているので、その事実を認識していなかったことはあり得ませんが、通りすぎています。この事実は何を示しているのでしょうか。 

 さて、その疑問を胸におきながら、オイラーが「無限解析序説」の頃にパラドックスと見做して、負や虚数の対数の値について決着を出しかねていた、ということの続きを追っていきたいと思います。「無限解析序説」の中の例です。 

式1として先程登場した、  

log√-1=(½)π√-1 

を少し変形してみます。 

 両辺を2倍すると 

   2log√-1/=π√-1ですから、 

 log√-1=π√-1であり、少し変形すると、 

   log(-1)√-1/=π 

が導かれます。 

 この式の左辺はlog(-1)と√-1の比を表していますから、その比はπ、つまり直径1の円の面積になることがわかります。 

  この比の式を根拠にオイラーlog(-1)は虚量である、と見立てていました。しかし、オイラーの探求はまだ終わりません。 

 負数の対数は虚量であることを承認するといろいろなパラドックスに導かれてしまうのです。 

 例えば、1という数は、 

 1=(-1)^2=(-1±√3/2)^3=(±√-1)^4・・・ 

 という風に虚数の範囲まで含めて因数分解していくと、幾通りにも数1を表す事ができます。これらの数の対数をとってみると、 

log1= 2 log(-1)= 3 log(-1±√3/2)= 4 log√-1・・・ 

という具合に、1に対応する対数が、一つではなく、多く考えられることになります。 

 オイラーはそれらを「パラドックス」とみて、これ以外にも他に多くの例を書き並べて疑問を呈しました。オイラーがこのパラドックスに対し、果たしてどうしたものか、苦悩し、結論を出しかね、しかし丹念に観察を繰り返して行った様子が詳しく書かれています。興味ある方は、ぜひ、「無限解析序説」や「負数と虚数の対数に関するライプニッツとベルヌーイの論争」は日本語の訳が手に入りますから、オイラーの丁寧で「塵ほどにも疑問が残らない」ような探求の様子を覗いてみられるとよいと思います。 

 実量aに対して、対数の値が無限に存在するーaの対数の無限多価性という事実に気付いているオイラーですが、大きな変化がこの間に発生します。 

 [E168]「負数と虚数の対数に関するライプニッツとベルヌーイの論争」では、パラドックスとしてではなくて、一転して、対数の無限多価性は数学的発見として描かれているのです。E168が出版されたのが1749年。この間に何があったのでしょうか。  

  

 ここで、もう一つこのオイラーの認識の変化がわかる資料が、このコラムの記事で参照されている[Br]でダランベールオイラーの書簡の中でも見られましたので、少しだけ紹介したいと思います。 

  

 1746年の8月から、哲学者でもあり数学者でもあるダランベールオイラーもまた数学の話題を巡って往復書簡を交わしていました。その中には対数をめぐる議論も含まれています。1746年、というと、無限解析序説が書かれた後になりますが、この時期、ダランベールは対数の微分dy=dx/xを元にして漸近線から伸びている2つの分枝におけるyの値は、xを正にとろうが負にとろうが等しいということを根拠にlogx=log(-x)を主張していました。                         

 オイラー複素数の対数関数の説明をダランベール宛の手紙の中で行い、結局そのことから導かれるのはlog x と lox (-x)の違いというのはlog(-1)だけ異なるということであり、それはどのような負の対数についてもみな共通しているのだからlog(-1)が何者であるのかはわからないままだ、と言います。そしてlog(-1)とは、と続いた言葉を引用します。 

 「私はそれが虚数で、πが直径1の円の周の長さを示していて、log(-1)とはπ(1±2n)√-1であることを証明したと信じています。nはどんな数でもあります。 私はそれを証明してしまったので、全てのsinは円の弧に無限に対応しているように、全ての数の対数は無限の異なる値を持っています。正の数の時は1つの実数だけを持ちますが、負の数の時は全ての値は虚数になります。それゆえに、log1=π(0±2n)√-1 で、nはどんな数でもあります。そしてn=0とすることによって普通の対数log1=0を表すことが出来ます。同様にして、log a=log a+π(0±2n)√-1を得ます。後者の部分は普通のlog aを表しています。さて、log(-a)=log a+π(1±2n)√-1で、全ての値は虚数となります。」 

 このオイラーの言葉で、注目すべきなのは、2つのことです。一つは、「πが直径1の円の周の長さを示していて、log(-1)とはπ(1±2n)であることを証明したと信じています。」というところです。πを円の周の長さを表していて、と表現しているところは、前述したベルヌーイの等式を想起させます。オイラーが研究を深く追求していく過程で、この式は常にオイラーの心の中にあってオイラーを支えていたのではないでしょうか。 

 もう一つ注目すべきなのは、オイラーは対数の説明に任意の数nを導入していることです。nというのはいくつもの値をとるのですから、ここではオイラーはもうその対数がいくつもの値をとることに苦悩する様子はありません。つまり、この手紙の時点で、対数の多価性を受け入れていることが見て取れます。 

 

 このように、手紙の記述や、E168から、オイラーの認識が一転して、数学的発見となっているのになにかきっかけがあったのでしょうか。 

 実は、この手紙が書かれる前の1945年に出版された「ライプニッツとヨハン ベルヌーイの哲学および数学書簡集」であると言われています。ライプニッツとベルヌーイの論争は決着がつかなかった模様ですが、オイラーは、この往復書簡集を見てパラドックスにしか思えなかった現象が、実は対数の本性を物語る重大な事実であることに気付いたのでした。 

 

 「数学的発見というものの本性は必ずしも数学的事実そのものに宿っているわけではなく、その事実を見る人の心の働きにより、同一の事実があるいはパラドックスになり、またあるいは発見になったりします。稀有の事例ではありますが、数学における発見ということの神秘の一端がここにはっきり現れています。」[Tk] 

 

 発見はその事実を見る人の心の働きにあるのであり、この場合、発見はオイラーの心の働きの中にあるのでした。そしてこの「発見」は、「複素変数関数論」の始まりとなりました。 

 このコラムの最初の段落で著者が「しかしどうして人々はこのオイラーアイデンティを賞賛するのでしょうか。」と疑問を呈しています。最後にこのことについて考えたいと思います。 

 一つには、数学の世界では、しばしば「エレガントでシンプルな」証明や式が美しいという言説を耳にします。オイラーアイデンティティの式は、シンプルです。とても簡潔で、πやiやeなど親しみやすい記号が1度づつ並んで出てきて、見かけがいい。また、よく小説に登場したり、この式をタイトルにした数学の本があったり、目にする機会も非常に多いです。 

 ところで、シンプルでわかりやすいことや、繰り返し聞かされる話が、真実や良い印象に思えてしまう価値観になってしまっていないでしょうか。 

 または、シンプルだからいいという、まるで誰もに共通する一般的な基準が存在して、その基準を満たしているから素晴らしい事実なのだ、というような判断してはいないでしょうか。または、誰かがそういったから、そんな気がする、と思ってはいないでしょうか。または、そうは言わないまでも、この式をじっと見つめて、うっとりと心から美しい!と本当に感じているのでしょうか。数学の事実とはそのように切り出された絶対的な価値を持つのでしょうか。 

 ところが、すでに見てきたように、実際、オイラーの探求を追跡してみると、論文の中でも多くの具体的な値の一つとして、e^iπ=-1という値は直接的ではないにしろ挙げられている箇所もあり、もちろんオイラーがこの事実を認識していなかったことはあり得ませんが、少なくともオイラーにとってはそれは数ある具体的な例の一つでしかなく、なんの興味も唆られていません。 

 

 「オイラーもまた何事も語らずに平然と通り過ぎ、正確さの欠如するベルヌーイの等式のほうにかえって美を感知した。神秘のベールに覆われて、巨大な理論形成の可能性を秘めているのはベルヌーイの等式の方であり、実際にここから複素変数関数論が生いたっていったのである。」(現代思想「知のトップランナー50人の美しいセオリー」より) 

  オイラーは、その論文の中で、はっきりとベルヌーイの式log√-1=(½)π√-1に対して「美しい」という言葉を冠して残しました。ベルヌーイの式が語る比を信頼し、そこに確かに数学的真実が「ある」という存在感を見出していました。ベルヌーイの式は正確であるとは言えませんが、その式の背景にあるものへのオイラーの確信は、とても澄んだ大きな力でオイラーを導き、それは複素関数論の始まりとなりました。 

 オイラーにとって、ベルヌーイの式こそが、美しく偉大な式でありました。また後世の私達がそれが記された文献を読む時に強く心が動かされる場面でもあります。この、心が動いている様を、実は「美しい」と呼ぶのではないでしょうか。その時に、私達はオイラーの感慨に、つい、思わず共鳴してしまうのです。頭で、知っている価値観でそう判断するのではなく、なぜかはわからないけれどもつい心が動いてしまうのです。 

 その時に、私達自身も、オイラーが信じた存在感への信頼を受け取って感じてしまうのです。客観的な数学的事実そのものに反応しているわけではありません。 

 真に人を発見に導くものとは、そのような澄んだ力であり、その源は人から人へ受け継がれてきた歴史なのではないでしょうか。そのような力を、時に「美しい」と呼び、私達は突き動かされ、魅了され、どうしても惹かれることから逃れられなくなって、突き止めなくてはならなくなってしまうような不可避にとらわれてしまったりするのです。 

 このようにみていくと、後世の評価がどこからか沸き立っているというだけで、「なぜ、オイラーオイラーアイデンティティを発見しなかったんだろうか。」

と残念がる理由は何もなく、後世の価値観を中心に考えていくことの無意味さ、虚しさがあります。なぜならば、そうすることによって真にオイラーが感じた美しさや豊かさを見逃してしまうからです。オイラアイデンティティばかりを取り上げて、複素変数関数の誕生を取り上げないのは、まさに本末転倒なのであります。

  

  

参考 

・[TK] 「古典的名著の学ぶ微積分の基礎」共立出版 高瀬正仁著 

・「現代思想」2017年3月臨時増刊号 「知のトップランナー50人の美しいセオリー 数学を想像するここと 数学における「美」とはなにか 高瀬正仁 」 

・LRPNHARD EILER; LIFE,WPRL AND LRGACY Robert E. Bradley/C. Edward Sandifer Editors 

・E168 「負数と虚数の対数に関するライプニッツとベルヌーイの論争」 

「無限解析のはじまり わたしのオイラー」 高瀬正仁 ちくま書房 

  

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